こんにちは、渡辺有です。
父の四十九日法要が終わりました。
今回は2泊3日の強行軍だったため、実家の片づけがあまりできまなかったことが心残り。
次回実家に行くのは母の一周忌の2月なので、食品と日用品の処分と持ち帰りをしました。
家の中にはモノがたくさん、特に普段見えない収納の中には本当にたくさんのモノが詰まっています。
それはどこの家も同じです。
ゴミ袋11袋出しても変化なし
今回は父の洋服をメインにゴミ袋11袋と、自家用車で1回運べるだけの粗大ゴミを処分しました。
タンスや衣装ケースは空になりましたが、部屋の見た目は全く変化なし。
押入れをあけると、まだまだモノはたくさん詰め込まれています。
比較的モノを捨てられる母でしたが、手芸関係の趣味の道具が多く、洋服もたくさんあるので、まだまだモノはいっぱいです。
大型の家具を残して「これ以上はもう処分するものはない」と言えるゴールは、まだ全然見えてきません。
モノを捨てるのが得意で、整理収納アドバイザーでもあるわたしですらこんな状態です。
遺品整理は故人との想い出を、心から引き千切って捨てていくような、厳しい作業です。
月に2〜3回通えたとしても、半年から1年はかかるのではないでしょうか。
モノの使い切り供養
「食い供養」というものがあります。
故人にお供えした食べ物を、残された家族が食べて供養することらしいです。
法事の後に、皆で会食をするのも食い供養のひとつといえるでしょう。
亡くなった人は、もう食べることができません。
代わりに食べてあげることで、心の中の故人も満足できるのです。
それならモノも同じではないでしょうか。
故人が愛用していたモノ、買ったけれど使い切れなかったモノなど、もう使うことができない故人に変わって使い切ってあげる。
使っている間は、亡くなった人を思い出します。
モノはだんだんと減っていき、何ヶ月も、ときには何年もかけて無くなっていく。
その過程で、大切な人を亡くした悲しみも消えていくのではないでしょうか。
ただしその「モノ」を見るだけでツライという場合は、使わないでしまっておいたり、潔く処分することも選択肢のひとつです。
遺品整理でモノが溢れる
例えば親が亡くなった場合、まだ片親が存命の場合はそれほどモノは増えません。
せいぜい思い出の品を形見分けでもらう程度でしょう。
洋服をもらうことも多いですが、体型や年齢的に着られる服はそう多くはありません。
また両親ともに亡くなった場合でも、同居する家族がいた場合は、その家族が日用品を受け継ぐので、上記の場合同様あまり増えないでしょう。
問題は両親ともに亡くなり、同時に家じまいを行うときです。
うちの場合もこのパターンです。
三周忌までは家をそのままにしておく予定ですが、もう誰も住まないため、モノを徐々に減らしていく必要があります。
今回は食品と日用品を持ち帰りましたが、すでに十分足りているわが家に持ち込むことで、モノが溢れ気味です。
家具類をどうするかが問題
現在わが家で不足している家具類はありません。
しかし実家にある、思い出深い家具を粗大ゴミに出してしまうのは気が引けます。
しかも思い出はあっても、現在のわが家のインテリアになじまない家具も多数。
思い出をとるか、インテリア&スッキリ感をとるか、この1〜2年の間に決めないといけません。
モノは限りなく少なく持つのが正解
家具類はともかく、日用品などは限りなく少なく持つのが、今のところわたしの中では正解だと感じます。
予定外にモノがやってきた場合に受け入れ可能ですし、余分なモノを遺してしまうこともありません。
遺品整理なんて一生のうちそうそう経験することではありませんが、持たない習慣は一朝一夕に身につくものではありません。
若いうちから持たない習慣を身につけておきましょう。
ひとりの人間に付随する持ち物は、少ないほどいい。
生きるときも、死ぬときも。